通信制高校に転校すれば通えるのか
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こんにちは
みほこママです。
コウタは約1年半の長い長いお家生活を経て通信制高校へ転校しました。
2回に分けて転入までの道のりを書いています。
不登校児の通信制高校への転入についてきちんと通えるのか調べる日々でした。中には通信制高校に転校して元気に通えるようになった子やはり通えなくなってしまい通信制高校を退学した子。結果は1つではないようです。
目次
転校したら通えるのか
コウタの場合
コウタの場合は通信制高校に転校普段はサポート校に通う形.通信制高校は3月1日付けで転校サポート校の方は2月の上旬から行くような手続きになりました。普段学校に行くのは平日の9時半からでした。
初めての登校
初めての登校は慣らしという形で午後からの登校でした。生徒が少ない時間に行き、まずは担任の先生にレポートの進め方や提出方法などを教わって来ました。サポート校に送り出したもののきちんと学校に行けただろうか、苦しい思いをしていないだろうかと心配。通信制高校は色々な事情を抱えて転入する生徒が多いので先生方も生徒と保護者に密に連絡をとってくれます。初日の夕方にも担任の先生から連絡が来て
今日の様子を伺うことができました。
留学に興味を持つ
ちょうど年に1度の留学プログラムの募集中だったらしくコウタ君、留学に興味があるようなので留学の資料を渡しておきましたとのこと。
えっ、本当にって感じでしたが先生に聞かれてとりあえず返事をしたのかと思っていました。でも留学とかできるくらいのパワーが欲しいと親としては思いました。
まずは初日が終了。土、日を挟んで月曜日。行くならば遅れては行きたくはない人。ちょうど私も仕事で学校方面に出かける予定だったので近くまで車で乗せて行きました。
お弁当
久しぶりのお弁当
1年半ぶりにお弁当を作ってあげました。
高校に入学する時に曲げわっぱのお弁当箱を買って3年間、お弁当作りを頑張るぞ💪と思っていたのにゴールデンウィーク明けには数学の再テストや部活の用意でお昼を食べる時間ないからおにぎりでいいと言われて1か月もお弁当作りませんでした。それくらい進学校の勉強って大変だったんですね。進学校出身でない私は知らない世界でした。
ずいぶんと後の話では再テストや再々テストが彼の気持ちを落としていった様でした。長い自宅生活。一生この人は外出しないのではないかと思った日もあった。そんなコウタに 1年半ぶりにお弁当を作って持たせてあげれるって幸せでした。このまま続いて欲しい。
お弁当いらない
登校2日目コウタが寝てる間に弁当作りお弁当を持って行くのかと思ったらお弁当はいらい。みんなカップラーメンとか食べてるし。別に食べなくてもいいしって。
なんか又、嫌な予感。
高校転校したけど通えずに辞めましたってブログが頭をよぎります。結果はご存知の通り卒業はなんとかできました。3日は頑張って行ったけどコウタは疲れてしまいました。
五月雨登校
そこからは五月雨登校。でもいいんです。通信制高校だから。なんとかレポートとスクーリングをクリアして高校を卒業するのが目標。その後は、また考えればいい。
できれば元気に行く姿がみたい。けど通えないなら仕方ない。通えない全日制に籍をおいているだけよりもとりあえず卒業だけ中卒は回避したい。
しかし、そんなコウタ、五月雨登校の中でも留学がしたいという思いがありました。学校見学の時も興味を示していました。先生とも話したようです。
中には通信制高校で別人のように元気に登校できるようになったって人もいますがコウタの場合は推測するに性格上、すぐには友達ができなかったこと、進学校を辞めて通信制高校に転入した自分を認められないことなどの理由でなかなかすすんで通信制高校に足が向く事はありませんでした。
実はコウタ、五月雨登校でしたが5月の末にカナダに2週間の短期留学をしました。
留学については後日、記事をまとめたいと思います。
レポートの締め切り
年度末にレポートの締め切りを設けるとレポート提出→単位認定試験のハードルが上がってしまうとの理由で7月に3割分のレポートを済ませるように今年度から決まったと説明がありました。
留学が終わってからほとんど学校に行かないコウタでしたが3割を済ませようと頑張って学校に行きました。
卒業への意思
ギリギリでしたが7月までの3割分提出を済ませることができ、そのことで本人の3年間で高校卒業をしたいという意思を 確認することができました。
コウタはやればできる子。 自分でも言います。俺はエンジンがかかるのが遅い。
こうして3年で卒業の意思を確信したもののまだまだ卒業までの道は平坦ではありませんでした。
まとめ
通信制高校に転入で通えるか通えないかは未知の世界。はっきり言って、急に通えるようになるのは難しいと思います。本人が希望してないのに転入してはもちろん通えませんがら本人が納得して転入してもなかなか通えないというのも現実だと思います。コウタの場合は3年間での卒業が目標でした。見学に行った他校のパンフレットに載っていた子は病気を克服しながら5年かかって卒業したようです。転校すれば通えるようになるか、大事なのは子供の力を信じて寄り添うことだと思います。